好きな気持ち
昨日、前々職の先輩と久々に飲みにいきました。
元々僕はクリエイティブ系の会社でプログラムを書いていて、先輩はその会社ではディレクターをしていた。
前にあったのは一年以上前で、連絡なんて全くとってなかったんだけど、僕の状況を知ってわざわざ連絡をくれた、貴重な存在です。
久々すぎて、最初はどう話していいのかわからなくぎこちない感じだったけど、久しぶりのお酒もあって(もともとめっちゃ弱いので)気づいたらなんか普段はなせないようなこといっぱい話して、和やかな雰囲気で飲めました。
その時に、今後の仕事の話になった時に、今何も自信がなく、プログラムを触るのも見るのもできず、どうしようか悩んでいると言う話をしました。
そこからクリエイティブと才能についての話になったんだけど、自分の好きについてハッとすることがあった。
自分のモノの好きになりかたは命綱なしのロッククライミング型だったんだ。
— null (@nullkun_0803) 2018年2月17日
高い高い山の頂上にキラキラしたものがあって、ただそこだけをみて、頑張ろうとするんだけど、どこかで足を踏み外して地面に叩きつけられる。
— null (@nullkun_0803) 2018年2月17日
上まで到達できなかった時には大きな怪我をするし、カッコ悪く落下してしまった自分を恥じ、好きと言えなくなっていく。
— null (@nullkun_0803) 2018年2月17日
好きと言う資格なんてないと思ってしまう。
— null (@nullkun_0803) 2018年2月17日
でもやっぱ憧れた山は好きで、好きを証明できないことを恥ながらもどこかずっと憧れの眼差しで見てたんだと思う。
— null (@nullkun_0803) 2018年2月17日
好きなものを好きって素直に言えない自分は、自分が大したこともないし、何も成し遂げてないし、一番でもないのに好きっていいのかと言う自分をおこがましいと思ってしまう気持ちが常にあるんだと理解しました。
そんなとき先輩は、村上春樹のエッセイのなかでこんなこと言ってたよって教えてくれました。
才能って言うのは、地下水みたいなもので、どれくらい奥深くにあるかわからないし、どれくらい量があるかもわからない。
若くして大きな源泉を見つける人もいれば、年老いてようやくたどり着く人もいる。
でもどんな人でも見つけるには好きと言う情熱と、継続的な努力がなければ見つからない。
だから別に人がどう見てるとか、どう考えてるとかは気にせず、好きな気持ちを育てるのが必要なんじゃないかってその時教えてくれました。
自分が好きなものは好きでいいし、それを信じれば良い。
好きの形を綺麗なものにしなくてもいいんじゃないかって言うのが今回の一番の気づきでした。だらか自分の好きは自分の中でゆっくり育てていこうと思った1日でした。
昨日の帰りは酔っ払って色々ツイートしてしまって恥ずかしかったですが、
そのおかげで好きなイラストレーターさんに好きって伝えることができたのがとても嬉しかったです。
とりあえず、このPV最高なんで見てください。
久しぶりに自分で見返しました まだ見てない人ぜひ見てください
— 北村みなみ (@kita__minami) 2017年2月10日
baby baby feat. minan(lyrical school) MV 【full】https://t.co/LqVEwX6IO0 pic.twitter.com/1vDXEFRZjj